2009年04月20日

ちょっと川上峡へ2009

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IMGP1712.JPG乗船客が絶えず、船頭さんはなかなか丘に上がれません。
舟遊びはこの季節の大きな楽しみのひとつ。
昔はここにも貸しボートがあった。


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近所の饅頭屋さんと床屋さんたちが、せっせと草刈をして、昨年はアジサイ、今年はショウブを180本程植えられました。
横の小道も“草ボウボウ”でしたが綺麗にして鯉のぼりも立てられました。右手にはちょっと車を停められスペースがあります。バンコに腰掛けて一休みするのもいいですね。


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川上軌道跡碑
平成19年2月に大和町観光協会によって建立された碑です。

川上軌道終点停留場跡地
大正二年(1913)神野(こうの)都渡城(ととぎ)間に軽便鉄道が開通し、この地が終点停留場。普段は一両であったが、実相院のお経会(きょうえ)や納涼の時は二〜三両増やし、かん高い汽笛を鳴らし、黒煙を吐きながら走った。昭和二年(1927)川上峡は日本百選に入選し、昭和四年には県立公園に指定され風光明媚な九州の嵐山として発展。昭和四年に軽便鉄道から川上電車に変わり電車が走るようになった。昭和十二年に廃止になるまで、多くの人々に親しまれた。開通当初の運賃は神野・都渡城間が十銭。(当時の米価六十キログラム当たり八円二十八銭。

勧進橋(官人橋)跡地
明治二十八年(1895)実相院及び川上地区の有志により、都渡城・川上間を結ぶ橋がかけられる。その後改修を重ね、昭和二十四年の大水害で流失するまで、川上峡の美しい自然に溶け込み人々に愛されつづけた。昭和二十八年に約八十メートル上流にかけかえられた。総工費七百七十円、橋の長さ六十四間(約116m)幅九尺(約2.7m)の有料橋。渡橋銭 一人四厘・自転車六厘・人力車一銭。(当時の米価六十キログラム当たり二円九十二銭)

碑にはそれぞれの写真が陶板に焼付けられていますが、ただ今佐賀市役所大和支所などに画像の所在、ブログへの転載などを問い合わせています。

*「銭」は1円の100分の1(1円=100銭) 「厘」は1円の1000分の1、1銭の10分の1(1円=1000厘、1銭=10厘)




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官人橋(勧進) 橋台跡
対岸、川上地区側には橋台はのこっていない。
左手の住宅が浄化槽の工事をされた時に、軌道の線路が見つかったそうです。

蛇足だが昨年ここでカワウを2羽見た。
床屋さんの話では、今年30羽ほどの群れが来ていたそうだ。
ちなみに「鵜飼」に起用されるウは、ウミウ。




今夜も長らくおつきあいくださり有難うございます。


<ゆっつら〜と館 T>
posted by スタッフ at 12:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっとシリーズ
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