2011年05月06日
2010年03月02日
3月22日(祝)までオープンしています。
その数日本一とも言われる佐賀の恵比須像に関わること、エビスグッズも色々紹介されています。
恵比須展 会場 を表示"
湯村京子さんのイラストです。ホノボノ〜。
昨年6月にテレビ放送された「秘密のケンミンショー」。
佐賀の恵比須を紹介していましたね。
あの時は優木まおみさんが出演されていました。
彼女は今日3月2日が誕生日だそうです。
恵比須ツアーガイド
佐賀市内に470体以上、その数日本一と言われる恵比須像を話し自慢のガイドがご案内します。
実施日時:いつでも
参加費 :1人1時間500円 *10人以上で割引あり
申込み:一週間前までにお申し込みください
申込み先:恵比須DEまちづくりネットワーク事務局
(佐賀市役所商業振興課内)電話 0952-40-7106
2009年03月24日
現在「佐賀県佐賀市の恵比須さん 長崎街道西コース」シリーズを続けています。
シリーズの「1〜3」で紹介した案内板の内容が少し分かりました。
佐賀民俗学会の金子さん、当館で仁和加を指導してくださっている平尾さん、佐賀県立図書館のスタッフの方の手をわずらわせてようやく、なにがしかにたどりつきました。
八戸町の西の端、深町井樋に架けられた橋が高橋で、現国道207号線の新高橋と街道筋の旧高橋は50mほどはなれ、平行に架けられている。
旧高橋は慶長年間、佐賀城下町建設のときに架設され、ここに蕃所が設けられたと考えられる。
扇町街道から旧高橋にさしかかる鍵型の辻路は、嘉瀬方面から押し寄せる敵勢を本庄江でくい止めるために作られたと伝えられる。
高橋は本庄江を航行する船の往来を便利にするため、橋桁高く持ち上げ、船の帆柱や竿が支障なく通るようにしたため、その名が起こったと言われている。
江戸時代まで高橋の市場には集散する船の積荷で賑わっていた。
一(市)は高橋、二(荷)は牛津、三(産)は泰順、四(詩)は安道、
五(碁)は但馬、六(禄)は諫早、七(質)」は成富、八(鉢)は皿山、九(句)は十万庵 という数え歌のように、高橋周辺は市として栄え、瓦屋、かまぼこ製造屋、元詰紙製造屋などがあった。
と書かれている。数え歌が英語で説明されていないのが残念だ。
一(市)は高橋・・・
この場合佐賀市嘉瀬町の高橋を指すが、検索すると武雄市の高橋がヒットする場合もある。二は省略。
三(産)は泰順・・・
産科医北嶋泰順のことと思われる。
四(詩)は安藤・・・
古賀朝陽(1773〜1837)のことであると思われる、
轟木村生まれ、古賀精里に師事、医術と儒学を兼ね、また詩と書にも秀でた。著書の「朝陽詩集」ほかがある。と「佐賀の文学」に記述がある。
五(碁)は但馬・・・
「鍋島直正公傳」に家老鍋島(横岳)主水の嫡子。鍋島(倉町)大隈の長男にて志摩の兄なり。後に主水茂延となのる、当時家老壮年の一人物にて碁を善くせりとある。
六(禄)は諫早・・・
龍造寺一門に対する鍋島一門の創出・強化策により寛永五(1628)年に小城鍋島家が成立するまで「御親類同格」の諫早領が最高の禄高であったことによると思われる。
七(質)は成富・・・
昭和27年発行「佐賀市史 下巻」産業編に、材木町や紺屋町は、今宿江に近く、藩政時代には片田江小路と水ヶ江小路および鷹匠小路の武家屋敷を控えて、その諸用達を務めていた商家町で、材木町の蔦屋は文房具、紙類、漆器類、釜屋は有名な特産の元結、鬢付、油、蝋燭などを商い、松永は呉服類、野中は烏犀円(うさいえん)、それから五丁目までの間には仁戸田醤油屋、トロ倉(成富質店)など数代の衛氏の豪商−(えし)とは足軽以下の身分で商売を許され苗字帯刀をも許された商人−たちが軒を並べていた。とある。
八(鉢)は皿山・・・
有田の皿山であろう
九(句)は十方庵・・・
「佐賀の文学」によると。十方庵画山は雲左坊とも号す。俳諧だけでなく日蓮僧十方院日唯上人としても大いに活躍した人物。文政三年には観照院の住職の地位にあり。とある。
杉谷昭・佐田茂・宮島敬一・神山恒雄著「佐賀県の歴史」
杉谷昭著「鍋島閑叟」
佐賀市史下巻 佐賀の文学 蓮池藩史 鍋島直正公傳
恵比須さんの笑顔と近辺の犬・猫、あるいは木々草花にふれながら、永遠と刹那の命に愛おしさを感じて取材を続けてきました。
漢字の多用をやめて、なるたけひらがなを使おうと思っていました。できるならやさしく〜。その矢先、
今回のような時代がかった路地に寄り道をしています。
先はそう長くないはずなのに、思うようには行かないものです。
その時に努力をしなかったツケでしょう。
“ふくらむ気持ち”を取り戻したいものです。
今夜も長らくおつきあいくださり、ありがとうございます。
シリーズの「1〜3」で紹介した案内板の内容が少し分かりました。
佐賀民俗学会の金子さん、当館で仁和加を指導してくださっている平尾さん、佐賀県立図書館のスタッフの方の手をわずらわせてようやく、なにがしかにたどりつきました。
佐賀城下長崎街道西の入口
八戸町の西の端、深町井樋に架けられた橋が高橋で、現国道207号線の新高橋と街道筋の旧高橋は50mほどはなれ、平行に架けられている。
旧高橋は慶長年間、佐賀城下町建設のときに架設され、ここに蕃所が設けられたと考えられる。
扇町街道から旧高橋にさしかかる鍵型の辻路は、嘉瀬方面から押し寄せる敵勢を本庄江でくい止めるために作られたと伝えられる。
高橋は本庄江を航行する船の往来を便利にするため、橋桁高く持ち上げ、船の帆柱や竿が支障なく通るようにしたため、その名が起こったと言われている。
江戸時代まで高橋の市場には集散する船の積荷で賑わっていた。
一(市)は高橋、二(荷)は牛津、三(産)は泰順、四(詩)は安道、
五(碁)は但馬、六(禄)は諫早、七(質)」は成富、八(鉢)は皿山、九(句)は十万庵 という数え歌のように、高橋周辺は市として栄え、瓦屋、かまぼこ製造屋、元詰紙製造屋などがあった。
と書かれている。数え歌が英語で説明されていないのが残念だ。
一(市)は高橋・・・
この場合佐賀市嘉瀬町の高橋を指すが、検索すると武雄市の高橋がヒットする場合もある。二は省略。
三(産)は泰順・・・
産科医北嶋泰順のことと思われる。
四(詩)は安藤・・・
古賀朝陽(1773〜1837)のことであると思われる、
轟木村生まれ、古賀精里に師事、医術と儒学を兼ね、また詩と書にも秀でた。著書の「朝陽詩集」ほかがある。と「佐賀の文学」に記述がある。
五(碁)は但馬・・・
「鍋島直正公傳」に家老鍋島(横岳)主水の嫡子。鍋島(倉町)大隈の長男にて志摩の兄なり。後に主水茂延となのる、当時家老壮年の一人物にて碁を善くせりとある。
六(禄)は諫早・・・
龍造寺一門に対する鍋島一門の創出・強化策により寛永五(1628)年に小城鍋島家が成立するまで「御親類同格」の諫早領が最高の禄高であったことによると思われる。
七(質)は成富・・・
昭和27年発行「佐賀市史 下巻」産業編に、材木町や紺屋町は、今宿江に近く、藩政時代には片田江小路と水ヶ江小路および鷹匠小路の武家屋敷を控えて、その諸用達を務めていた商家町で、材木町の蔦屋は文房具、紙類、漆器類、釜屋は有名な特産の元結、鬢付、油、蝋燭などを商い、松永は呉服類、野中は烏犀円(うさいえん)、それから五丁目までの間には仁戸田醤油屋、トロ倉(成富質店)など数代の衛氏の豪商−(えし)とは足軽以下の身分で商売を許され苗字帯刀をも許された商人−たちが軒を並べていた。とある。
八(鉢)は皿山・・・
有田の皿山であろう
九(句)は十方庵・・・
「佐賀の文学」によると。十方庵画山は雲左坊とも号す。俳諧だけでなく日蓮僧十方院日唯上人としても大いに活躍した人物。文政三年には観照院の住職の地位にあり。とある。
参考資料
杉谷昭・佐田茂・宮島敬一・神山恒雄著「佐賀県の歴史」
杉谷昭著「鍋島閑叟」
佐賀市史下巻 佐賀の文学 蓮池藩史 鍋島直正公傳
恵比須さんの笑顔と近辺の犬・猫、あるいは木々草花にふれながら、永遠と刹那の命に愛おしさを感じて取材を続けてきました。
漢字の多用をやめて、なるたけひらがなを使おうと思っていました。できるならやさしく〜。その矢先、
今回のような時代がかった路地に寄り道をしています。
先はそう長くないはずなのに、思うようには行かないものです。
その時に努力をしなかったツケでしょう。
“ふくらむ気持ち”を取り戻したいものです。
今夜も長らくおつきあいくださり、ありがとうございます。
<ゆっつら〜と館 T>
2009年03月18日
10 鯛恵比須
八戸町公民館前の公園内においでです。左はお地蔵さんです。
所在地:八戸1丁目6
11 鯛恵比須
民家の駐車場においでです。烏帽子は被っておられません。どうしてでしょう?
所在地:八戸1丁目4-23
この辺りの長崎街道に面した家並みは特徴があります。
今回は文字数の関係で紹介することができませんでしたが、10の恵比須さんがおられる所、川をはさんで東南の所に街道の案内板があります。そこには、のこぎり型の家並みが通行上不便をもたらし、間道を抜ける者が増えたとの記述がありました。
平和になったということでしょうか。
寄り道〜龍雲寺 山本常朝の墓所
11の恵比須さんがおられる所から北に200m行くとこのお寺があります。ここに「葉隠」で知られる山本常朝の墓はじめ、父母、妻、娘夫婦、孫娘の墓があります。山門をくぐると左手の案内板があります。よ〜く見て行かないとどれが常朝の墓か分かりませんよ。
*この画像はクリックすることで大きくなります。
「葉隠」はいろいろな解釈があるようです。「天保二年(1831)藩校弘道館教授 古賀穀堂は時の10代藩主鍋島直正に藩政改革上必要なことがらを進言する中で、武を重んじ学を軽視す葉隠を修正(? )されるよう述べている。」・・・ (概略)とする書籍を見ました。
これが常朝の墓
12 文字恵比須
所在地:八戸1丁目2-32
13 鯛恵比須
所在地:八戸1丁目3-28
14 鯛恵比須
所在地:八戸1丁目3-30
店の留守番をしているレトリバーに会いました。
10歳を超えた老犬です。長生きして欲しい。
15 鯛恵比須
所在地:八戸1丁目1
16 鯛恵比須
所在地:八戸1丁目1-39
恵比須さんの後ろにいるのは、猫を散歩させている母娘です。
三毛猫でした。触らせてもらったら、指先で毛がすべるようでした。
名前は「マリちゃん」。綺麗な娘になるように〜。
17 文字恵比須
所在地:八戸1丁目2
18 鯛恵比須
所在地:八戸1丁目1-47
19 鯛恵比須
所在地:長瀬町4-20
20 鯛恵比須
所在地:長瀬町5-51
今夜も長らくおつき合い下さりりがとうございます。
<ゆっつら〜と館 T>
2009年03月13日
4 鯛恵比須
高橋を渡って、佐賀市中心市街地に向かって100mほど行くと右手の民家の玄関においでです。
小鮒ほどの鯛を抱えた小さな恵比寿さんはご主人が新居からわざわざ持ち出してくださったのです。
こちらでは、ご両所をどのように呼び分けておいでなんだろう。
所在地:八戸(やえ)2丁目7-24
所在地を示す写真は、恵比須さんがおられる旧家が改装中のため撮影を遠慮しました。
5 鯛恵比須
このご婦人が、恵比須さんの前に植えられた花もみてくれているのでしょう。モクレンの蕾もふくらみ始めていました。
所在地:八戸2丁目7-27
6 鯛恵比須
7 鯛恵比須
6の恵比須さんのすぐ後ろにおいでです
所在地:八戸2丁目4-8 :八戸2丁目4-7
ちょっと寄り道
6 の恵比須さんの向かって左手奥には、八戸釜という陶房(?)
があります。無礼承知でお邪魔しました。
作品を近くから撮ったもの
この花は絵付けによるものではなく、“練り上げ”という技法によるものだそうです。
初めて見ました聞きました。
白土に顔料を混ぜ合わせて色土を作り、異なる色土を幾層か重ね合わせたり巻いたりして模様を作り、断面にできた模様を薄く切り、型に巻きつけたり、たたいたりして成形すると教えて頂きました。
「染め」と「織り」の違いの理解とはかなり違うようです。
刃物の世界で言う、「ダマスカス」が近い。
匂うようなグレイ カプチーノを頂いた
若い頃、こんな小紋のネクタイを好んで締めていた。
菱屋はいいメーカーだった。
こんな感想しか持てない自分が情けなかった。
今ふと感じた。
もう少し花弁は少ない方が僕には似つかわしいのだろうと。
或る刹那、モノは心を映す。
ご馳走様でした。
八戸釜 佐賀市八戸2丁目4-8 TEL&FAX 0952-25-4781
8 鯛恵比須
9 鯛恵比須
この写真は8 の恵比須さんですが、すぐ後ろの角に9 の恵比須さんがおられる羨ましさ!
こちらのお宅では〜。「東向きエビスさん」「西向きエビスさん」?
“ちかい遺産”ですね。
所在地:八戸2丁目6-31 :八戸2丁目6-32
八戸釜の作品は別の機会が頂ければと考えています。
今夜もおつき合い下さり有難うございます
<ゆっつら〜と館 T>
2009年02月25日
このコースは佐賀市嘉瀬町扇町(かせまちおうぎまち)から長崎街道を東へ中心市街地に向かう約3.2km。
約50体の恵比須さんを見る事ができます。西方からの敵の侵入に備えて、家屋を道に平行ではなくのこぎり状に建てた家並みや、あるケーキ屋さんでは、佐賀でも珍しくなってしまったいろんな魚を見せてもらえるかも知れない。
高橋餅本舗の店先に鎮座しておられる微妙な表情の恵比須さん
こんな方と卓を囲んだら、“ミエミエ”にも放銃しそうだ。
所在地:嘉瀬町扇町2430
国道207号に架かる新高橋を渡ってすぐ。
上の写真の橋の上流、長崎街道上に復元された橋
川は本庄江川(ほんじょうえがわ)。
有明海まで約8km。潮の干満の影響で水面は2m前後変動する。
舟の往き来を容易にするため、橋脚を長くし橋げたを上げた高い橋。それが地名となったと言われている。
向かって左手橋を渡りきった所に 2 の恵比須さんがおられる。
橋西側にある道標
右手が西。長崎方面から来た旅人は「こくら」を見る事になる。
橋の西端から街道を望む
通行を質す(ただす)番所があったろう。
光背(こうはい)は欠けているが、素朴な佇まいの恵比須さん
供えられた花がいい!
旅人を 送り迎える 恵比須さん
佐賀方面へ橋を渡りきった所にある案内板
「舟の帆柱や竿〜。」とあるが、竿とは棹(さお)のことか?
数え歌は、この辺りが舟運とそれがもたらす市として栄えたことを表わしている。
以下がどのような人物、事象を指すのかも含めて確認中。
三は産科医北島泰順、四は古賀朝陽、五は鍋島但馬、六は手がかりなし、七は材木町東の成富質店、八は有田の皿山、九は十方庵のことか?
西日が厳しく、フラッシュを使用したため、いよいよ表情がわかりにくくなりました。光背?も欠けていますね。
そこで変な脱線
光背とは、仏身から発する後光をかたどって仏像の背後につけられるもののようで、阿弥陀様も光背をまとっておられる。
その様子から、帽子のひさしを上げ加減に被ることを「あみだにかぶる」と言うようになったようだ。ついでに、アミダクジも元は放射状に伸びた線を選ばせるような作り方だったそうな。
今更だが、恵比須さんのも「光背」と言って良いんだろうか?
橋と恵比須さん
ハシの上げ下げにもうるさかったのだろうか?
佐賀城下ひなまつりの期間中、佐賀市呉服元町の656(ムツゴロウ)広場前の松屋ギャラリーで、恵比須さん、グッズなどを展示。
恵比須ガイド受付中
3月22日(日)までの土・日・祝日 11:00・14:00スタート
■各コース所要時間 60〜120分
■ガイド料金 お一人様1000円(税込み 保険・恵比須グッズ付)
*詳しいお問い合わせ先
事前予約 TEL 0952-40-7106(佐賀市役所商工観光課)
当日受付 TEL 090-7296-6021(山内)
新えびすさん のカットを描かれた湯村京子さんのイラスト
恵比須グッズ各種
巻物、箸置は在庫があとわずかのようです。
今夜も長らくおつきあい下さり有難うございます。
約50体の恵比須さんを見る事ができます。西方からの敵の侵入に備えて、家屋を道に平行ではなくのこぎり状に建てた家並みや、あるケーキ屋さんでは、佐賀でも珍しくなってしまったいろんな魚を見せてもらえるかも知れない。
1 鯛恵比須
高橋餅本舗の店先に鎮座しておられる微妙な表情の恵比須さん
こんな方と卓を囲んだら、“ミエミエ”にも放銃しそうだ。
所在地:嘉瀬町扇町2430
国道207号に架かる新高橋を渡ってすぐ。
高橋
上の写真の橋の上流、長崎街道上に復元された橋
川は本庄江川(ほんじょうえがわ)。
有明海まで約8km。潮の干満の影響で水面は2m前後変動する。
舟の往き来を容易にするため、橋脚を長くし橋げたを上げた高い橋。それが地名となったと言われている。
向かって左手橋を渡りきった所に 2 の恵比須さんがおられる。
長崎街道
橋西側にある道標
右手が西。長崎方面から来た旅人は「こくら」を見る事になる。
橋の西端から街道を望む
通行を質す(ただす)番所があったろう。
2 鯛恵比須
光背(こうはい)は欠けているが、素朴な佇まいの恵比須さん
供えられた花がいい!
旅人を 送り迎える 恵比須さん
佐賀方面へ橋を渡りきった所にある案内板
「舟の帆柱や竿〜。」とあるが、竿とは棹(さお)のことか?
数え歌は、この辺りが舟運とそれがもたらす市として栄えたことを表わしている。
以下がどのような人物、事象を指すのかも含めて確認中。
三は産科医北島泰順、四は古賀朝陽、五は鍋島但馬、六は手がかりなし、七は材木町東の成富質店、八は有田の皿山、九は十方庵のことか?
3 鯛恵比須
西日が厳しく、フラッシュを使用したため、いよいよ表情がわかりにくくなりました。光背?も欠けていますね。
そこで変な脱線
光背とは、仏身から発する後光をかたどって仏像の背後につけられるもののようで、阿弥陀様も光背をまとっておられる。
その様子から、帽子のひさしを上げ加減に被ることを「あみだにかぶる」と言うようになったようだ。ついでに、アミダクジも元は放射状に伸びた線を選ばせるような作り方だったそうな。
今更だが、恵比須さんのも「光背」と言って良いんだろうか?
橋と恵比須さん
ハシの上げ下げにもうるさかったのだろうか?
街中での催しもの
佐賀城下ひなまつりの期間中、佐賀市呉服元町の656(ムツゴロウ)広場前の松屋ギャラリーで、恵比須さん、グッズなどを展示。
恵比須ガイド受付中
3月22日(日)までの土・日・祝日 11:00・14:00スタート
■各コース所要時間 60〜120分
■ガイド料金 お一人様1000円(税込み 保険・恵比須グッズ付)
*詳しいお問い合わせ先
事前予約 TEL 0952-40-7106(佐賀市役所商工観光課)
当日受付 TEL 090-7296-6021(山内)
新えびすさん のカットを描かれた湯村京子さんのイラスト
恵比須グッズ各種
巻物、箸置は在庫があとわずかのようです。
今夜も長らくおつきあい下さり有難うございます。
<ゆっつら〜と館 T>
2009年01月27日
31 常蔵恵比須
所在地:中央本町5-6
東を向いて撮影、奥は656(むつごろう)広場
32 ゆめこい恵比須
所在地:中央本町8-10
「常蔵恵比須」さんのほぼ向かいにおいで
33 哀歓恵比須
人の哀歓とは一体何かと考えさせる恵比須さん
所在地:中央本町4-20 北を向いて撮影 奥はエスプラッツ
34 鯛抱え恵比須(お告げ恵比須)
所在地:中央本町4-13 「哀歓恵比須さん」と同じ通りにおられます
飛び出すな!と恵比須さんに言われているような気がします
35 大福帳恵比須
所在地:中央本町3-22 西を向いて撮影 奥は中央通り
36 よかふく恵比須
「七五三縄」(しめなわ)のワラ茎数もきちんと7.5.3
所在地:中の小路1-3 佐賀玉屋南館2F
バルコニーに上がる階段のすぐ傍においでです
37 にこにこ福笑い恵比須
所在地:中の小路2-5
38 逆向き恵比須
所在地:八幡小路1-5
39 四宝珠恵比須
所在地:八幡小路4-33
「にこにこ福笑い恵比須」さんから北に100m程の所におられます。手前「逆向き恵比寿」さん、奥に「四宝珠恵比須」さん
40 鳩森福多恵比須
「亀やイルカに乗った〜。」という像や歌は見き聞きもしたが
鯛に乗った恵比須さんには驚かされる
所在地:八幡小路3 鳩森神社(はとのもり〜)境内
41 ハンサム恵比須
所在地:白山1丁目4-35
42 子育て恵比須
所在地:白山1丁目3 八幡神社境内
コース近くの恵比須さん
A 鯛恵比須
所在地:白山1丁目1-10 駐車場に入ってすぐ右手においでです
「高寺」も見物です、首が痛くなるかも
B 竿恵比須
所在地:白山1丁目2-22
恵比須さんの所在地図を見る
今回は、一遍に沢山紹介したので、シリーズの各ページへリンクを張る記述スペースがとれませんでした。容赦下さい。
<ゆっつら〜と館 T>
2009年01月22日
21 ヤマニ恵比須
所在地:呉服元町7-3
656(ムツゴロウ)広場向かいです。赤、黒のマネキンの足元におられます。因みに2Fは「ゆっつら〜と館」です。
22 道しるべ恵比須
左手に「こくらみち」の道しるべがみえますか?
所在地:呉服元町8-5
恵比須さんは写真中央におられます。
左手から手前に向かうのがかつての長崎街道。
些細なことだが、
日の丸は長辺を上にして掲揚しないと美しくない。と思うが。
23 そっくり恵比須
所在地:呉服元町1
24 大笑い恵比須
恵比須さんの大きな笑い声が聞こえてきそうです。
その声で、後ろのコーン(赤い三角標識)が倒れてしまったか?
鯛と一緒にお腹も抱えているみたいです。
些事(さじ)を笑い飛ばそう。
匙(さじ)は投げずに、上手に按配を計ろう。脱線!
所在地:呉服元町1
左下に大笑い恵比須さん、中央の車の手前にそっくり恵比須さんがおられます。
25 電柱影恵比須
所在地:中央本町7
その名の通り、電柱の影においでです。
あまりに切なく、周囲を片付けようかと思ったが自転車はワイヤーで構造物に繋がれていました。店先でもありそのまま撮影。
26 東魚町恵比須(安座恵比須)
27 東魚町恵比須(文字恵比須)
26、27の恵比須さんは同所に祀られています
所在地:中央本町10-8
28 串勝恵比須
所在地:松原2丁目11-14
29 夕づる恵比須
所在地:松原2丁目2
電柱の傍におられます
30 久右衛門恵比須
所在地:中央本町2-7
恵比須さんは、正面少し左手の看板の横から、通りを見守っておられる。
恵比須さんの所在地図を見る
今日は時折小雨がふる寒い一日だった。
「取材のスタートがすぐ傍から〜。」とまたしても安堵していたが、
矢張り大きな間違いだった。
見落とすんである。通り過ぎてしまうんである。
言い訳じみてはいるが、「こんなにすぐ近くに、また別の恵比須さんがおられる〜」とは思はなんだ!
今夜もおつきあいくださり、有難うございます。
<ゆっつら〜と館 T>
シリーズ
定時ツアーコース 1 旅立ち恵比須さん
定時ツアーコース 2〜8の恵比須さん
定時ツアーコース 9〜14の恵比須さん
定時ツアーコース 15〜20の恵比須さん
定時ツアーコース 21〜30の恵比須さん
定時ツアーコース 31〜42の恵比須さん
2009年01月20日
15 文字恵比須さん
所在地:白山2丁目4-1 手前は鈴蘭橋
商店街へ続く「エビス通り」 彼女はもう50mも行くと「木彫り恵比須」さん「引越し恵比須」さんに微笑みかけられるのです
16 木彫り恵比須
ここ「白山(しらやま)恵比須神社」の御神体
以前紹介した小冊子「さがんまち恵比須ガイド」に拠ると、1、8月のお祭りの時にしか拝見できない。よってこの画像はお借りしたカラープリントをスキャンした物。実物とは色合いも異なるだろうし、木彫りの質感も判読し難いが、細部の造りこみは木製ならではである。
近所の人の話では、
祭りの時以外に見ようと企むと「バチカブル!」そうだ。
かなり純度の高い佐賀弁だ。「罰を被る」(ばつをかぶる)の転訛、
なまったものだろう。
どのような罰かと深追いすると〜。恵比須さんの頭を撫でた手が離れなくなるということだった。
17 引越し恵比須
神社の祠(ほこら)の右手に鎮座しておいでだ
白山恵比須神社沿革
「斉行」は「斎行」とも書き、「さいこう」と読む
お祭りや祈祷などの行事を行うこと
白山恵比須神社
所在地:白山2丁目5-24
18 長崎街道恵比須
所在地:白山2丁目7-1
19 文字恵比須
所在地:白山2丁目8-9
20 後光恵比須
所在地:呉服元町3-13
恵比須さんの所在地図を見る
昨日はこの季節としては暖かった。そのせいか記事作成の段取りを考え、20〜15の順で取材を行った。
この緩みがミスを誘った。甚だ不得意な分野でありながら些細なことに安堵した、すなはち「油断した!」
油を断たれるのは大変なことだ。柔道を嗜むらしい北の熊にはなお学んでもらいたい。驕る者の久しからぬ事も。
手元にあるガイドブックには各々の恵比須に関する記述があるが、著作権もあり、このシリーズが写真のみ内容になっていることをご理解いただきたい。
夕方、佐賀のNHKニュースが「鹿島の鮒市」を伝えていた。
有明海に面する地域でありながらここでは今も、魚料理の一種として「ふなんこぐい」なるものを作る。
鮒をコブで巻き締め、大根などの野菜を砂糖や氷砂糖、水飴、落雁(らくがん)などそれこそ百家百様の煮汁で長時間煮る。
有明海には鯛が産しない為、鮒を代用するらしい。鹿島に限らず、
佐賀市の平野部でも十数年前まで作られた料理である。
「ふなんこぐい」は「鮒の煮凝り」(ふなのにこごり)ではないかと推測している。気温が低いこの時期、先の煮汁はゼラチン状になった。
当時魚が苦手だった僕は、コブとこの煮凝りばかりを食べていた。
多意なくして「鮒恵比須」を想像した。「前海もの」と称して有明海産を半ば誇らしく思う佐賀人でありながら、恵比須=鯛をあっさり受け容れた。算盤を抱えた恵比須さんもおられはするが。
今夜もおつき合い下さり有難うございます
<ゆっつら〜と館 T>
シリーズ
定時ツアーコース 1 旅立ち恵比須さん
定時ツアーコース 2〜8の恵比須さん
定時ツアーコース 9〜14の恵比須さん
定時ツアーコース 15〜20の恵比須さん
定時ツアーコース 21〜30の恵比須さん
定時ツアーコース 31〜42の恵比須さん
2009年01月17日
2 右鯛恵比須
所在地:駅南本町3-2
3 停車場恵比須
所在地:駅南本町1
4 文字比須
所在地:駅南本町1
5 鴨居恵比須
所在地:駅南本町2-8
6 快復恵比須
所在地:唐人1丁目5-30
7 鯛恵比須
所在地:唐人1丁目6
8 鯛恵比須(忍者恵比須)
所在地:唐人2丁目7
恵比須さんの所在地図を見る
創作ひぜん張子
粘土の型おこし、和紙の張り込み、絵付けと工程の全てが手作業。
佐賀の民芸品としてひろく愛されています。
問合せ先
創作ひぜん張子
まつばら工房
TEL 0952-23-5705
シリーズ
定時ツアーコース 1 旅立ち恵比須さん
定時ツアーコース 2〜8の恵比須さん
定時ツアーコース 9〜14の恵比須さん
定時ツアーコース 15〜20の恵比須さん
定時ツアーコース 21〜30の恵比須さん
定時ツアーコース 31〜42の恵比須さん
最近の館内の様子(11/6〜11/12) by おい坪田薫警視 (08/17)
最近の館内の様子(11/6〜11/12) by おい坪田薫警視 (08/17)
佐賀城下ひなまつり巡り6 ひぜん張り子まつばら工房 by ゆっつら〜と館 T (10/07)
佐賀県佐賀市西与賀町で鯉は釣れるの? に応えて by ゆっつら〜と館 T (10/07)