2008年11月08日

11月3日 掘江(堀ではない)神社の浮立を見に行った。
先輩・後輩がこれに加担?しているのを知ってはいたが、実際間近にするのは初めてである。
神社がある神野(こうの)地区の草場・東神野・西神野の3町区が毎年交代で奉納していたそうだが、近年は東西神野は毎年奉納しているとのこと。草場町区が奉納する年は、3町区が揃うことになる。


地図を見る

神社入り口にある案内板には
佐賀市重要無形民俗文化財 玄蕃一流 昭和43年2月11日指定
 この浮立は、弘治2年(1556)5月、大宮司山本玄蕃(げんば)が大干ばつによる雨乞祈願のため、掘江大明神に奉納したことに始まるといわれ、後にこの浮立を“玄蕃一流”というようになったと伝えられている。演者は総勢60有余名からなり、天衝舞、大太鼓、鐘、笛などで構成される。佐賀市郡を中心に今日なお伝承されている天衝舞浮立は、富士町市川の天衝舞浮立や上峰町の米多浮立などがあるが、いずれも山本玄蕃が始めたといわれている。

Furyu Genba Ichiryu (Genba style of dance)
important intangible fork cultural property of Saga City Desighnated Februry 11,1968 Local Saga performing art

in May 1556 YAMAMOTO Genba,the chief priest of Horie jinja(Shinto shrine),created this dance in order to pray for rain.
The dance is performed at the shrine every year on November.

とある。英文での表記にのみ、毎年11月に行われることが明記されているのも面白い。

haiden.jpg

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主役の舞い人が頭上に戴くテンツキ(天衝)・テンツクは、天月、天竺などの文字が充てられる大きな被り物である。
中央の赤い丸は太陽、その左右に龍と月、黄色の丸は星を表わしている。
手にしているのは太鼓の撥(バチ)。腰に着けているのは茣蓙(ゴザ)だが、「大口」と称することもあるようだ。これに関しては諸説ある。後日記述できればと思う。
後方、花笠を被り、締太鼓を叩いているのはモリヤーシ(モリャーシ・モラシ・ムラシ)「盛囃子」を充てる。小学生の5〜6年生。
その後方は鉦打ちの大モリヤーシ。青年男子が当たる。


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テンツクの御幣(ごへい)を抜き取り、掌で揉んでから撒き上げる。

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横笛6名。なかなか音が出ないらしい。

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大太鼓の上に乗せられているのは花嫁布団か

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拝殿に向かって左側に女の子のモリヤーシ

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右側に男の子のモリヤーシ
男女合わせて20名。大モリヤーシも20名と演者のブログにある。


maturinoko.jpg
弁当を手にした少女とすれ違った。もっと近くで撮りたかったが。

町に祭りがある。そしてそこに自分もある。彼女の後ろ姿はそれを教えるかのようだった。
イベントでは得ようがない何かを感じながら、シャッターを押した。
少しピンボケになった。



今回記事アップに際し、背景を知るのに相当時間がかかった。
沢山の人にお世話になった。
佐賀県立図書館の方々。利用法を知らず随分手間をおかけした。
佐賀民俗学会の金子信二さんからは、浮立に関わる沢山の話と資料までも頂戴した。
徴古館では、舞い人の装束に連なる「広口袴」「大口袴」について貴重な資料をいただいた。

皆様に深くお礼を申し上げます。



<ゆっつら〜と館 T>



今回の記述に際して参考にしたもの


佐賀市教育委員会発行 佐賀市の文化遺産
佐賀県教育委員会発行 佐賀県の文化財

金子信二著 天衝舞浮立の成立

朝日新聞社文化企画局発行 観世宗家ー幽玄の華
日本経済新聞社発行 三井家伝来の能装束展
株式会社平凡社発行 別冊太陽No.25

西神野浮立・・・・当地の天衝舞演者によるホームページです。

岩崎鬼剣舞□□□北の鬼の復権□□□鬼剣舞いについて 
御免町鬼剣舞 隊長日記
衣装・詳細□□□□□□袴の種類 

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2008年10月23日

平成20年度 奉納相撲のお知らせ

期  日:10月25日(土)13:00より
場  所: 平尾天満神社

場所を地図で見る 

平尾地区では今年も奉納相撲を行います。
参加資格などは特別に定めていないようですが、近年は小学生を主な対象としているようです。もちろん、女の子の参加も歓迎とのこと。飛び入りもOKだそうです。

詳しい内容は奉納相撲2007を御覧下さい。


奉納相撲昭和17年.jpg
最近見つけた昭和17年の写真
この頃は青年による奉納相撲だったようです。
町史によれば、300年ほど前から行われていたようで、明治あるいはそれ以前の「諸興行伺い」?などに記述が見つからないかと思っています。


IMGP0052.jpg
今年の担当古賀は川原です。
「古賀?」とは、集落内のより小さな単位と考えています。
先ず土俵の輪郭を整えているところです。傍らでは土俵に埋める綱を編む作業が始まっています。


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土俵の縁を専用に作った道具を用いて叩き固めています。
力あまって道具が壊れる一幕もありました。


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綱編みの作業です。
編むという表現は適切ではないかも知れません。
稲わらをつなげて束ね、それを縄でしばっていきます。
土俵の直径が4.55mですので結構な長さが必要です。因みに
「綯う」(なう)とは、掌などで転がすようにして捻りをいれて縄を作ることを言うのではないかと思います。


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四隅の柱を建てて一段落。
中央の柱は方角的には東北ですが、右手が本部席になるので、ここには「青房」が懸けられます。
ここから時計回りに「赤房」「青房」「黒房」となります。
中国の五行説に起因するものかも知れません。

季節を表わす言葉としても、春は「青」を、夏は「赤(朱)」、秋は「白」冬には「黒(玄)」を冠しています。
青春・白秋は知られたことばです。素人(白ひと?)に対して、玄人(黒ひと)と書き慣わすのはご存知のとおりです。


zennkei7.jpg
子どもたち、来賓に差し上げる餅を作っています。
60kgのもち米を蒸しています。
「平尾の餅相撲」のいわれとなったものです。

motituki.jpg
これが最近のモチツキです。
餅が搗きあがったら、左手の板に載せて成型にまわします。


saisun2.jpg
搗きあがった餅はこの長箱に入れて成型します。

saisunn.jpg
右手に持っているのは、餅の厚みを図る器具?です。
勿論手づくりです!






「古賀」「綯う」について確証なく、個人の認識に過ぎません。
志津田藤四郎著:佐賀の方言3巻にも該当する記述が見つかりませんでした。教授下されば幸いです。



<ゆっつら〜と館 T>


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2008年03月05日

当館の常連に、Mさんがおられる。Mさんは僕より少し年長だから“年女”を5回は経験しておられるはずだ。

常連さんだから随分お世話になっている。
今月の1日・2日に「うどん屋」を当館でやったが、この時も主力として頑張って頂いた。

隣のH本もH越も常連だから主力の任を充てられたのは当然である。うどん屋は、かのM、H、H、当館のH&Hの頑張りで予定より早めに“売り抜けた”。微力Tはなんとか踏ん張った。

後片付けも終わりトッコラ〜ト
(物事をなし終えて一息入れて腰掛けているような様子)
していると。

Mさんがホケマクイを持ち出した?

「ホケ」とは湯気のことである。「ホケノタチヨッ。」とは、湯気が立っている様を言い、「マクイ」は捲くるが転訛(てんか・・・なまった)したものと佐賀新聞社刊・志津田藤四郎著「佐賀の方言」にある。
「呆気」(ほうけ)と「ホケ」が同音であることから
「コノホケマクイガ。」と揶揄した。「この馬鹿が」である。

実体のない架空の物としても「ホケマクイ」は用いられる。

「マエサイ イタテ、ホケマクイ バ カッテキテ クレンコ。」
「前(家)に 行って ホケマクイ を(ば)借りて来て くれないか。」などのように「ホケマクイ」を知らない子どもたちに向けて使われた。

内実を知らない子どもは、前の家に行き
「オンジサン ホケマクイ バ カシテクンシャイ。」
と無邪気に頼んだものだった。
内実を知っている大人は不実なもので
「アリャー!ソイハナイ、トナイ ニ カシトッボー。アスケー イタテンサイ。」
と応えることを大人同士で暗約していた。
「あれー!それはね、隣の家に貸しているよ。あそこに行ってみなさい。」
こうしてその子は訪ねる先々で、似たような対応をされ、たらい回しにされた。

「内実」「不実」などと記したが、この佐賀弁が用いられていた時代は未だ子どもが多く、そして各家庭でも自分たちで“ものづくり”が行われていた。

例えば正月用の餅つき。もち米を蒸して、それを搗いて、雨戸などの広い板の上で丸める作業などが行われ、雑多・緊張状態となる。その際、好奇心と役に立ちたいと思う気持ちで一杯の子どもの存在は「人払い」の対象とならざるを得なかった。

今なら「2階に行ってゲームでもしてなさい!」「お金をあげるからコンビニにでも行ってらっしゃい!」となるのだろうか?
一家で完結する対応だ。

「不実」とは、本当はかまってやりたのだが、今はそうしてやれない親の気持ちを指し示していると解釈して頂ければ幸いだ。

物、施設が充分ではなかった時代
子どもは地域社会に見守られ育まれていた。
あの頃の子ども、「KY」などのスラングで逆に大人を煙にまく子どもも同じようにかわいい。

溢れるようなお金があっても
7歳の娘の親にはなれない。絵に描いたような格好の良い中年になれたとしても、15歳の息子の親父にはなれない。

最近漸くそれに気づいた。


<ゆっつら〜と館 T>




シリーズ

よかね佐賀弁1 「ま」さんのリクエストに応えて
よかね佐賀弁2 爽やかな佐賀弁
よかね佐賀弁3  ほけまくい

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2008年01月24日

長崎をアピールする小冊子の中に面白いもの見つけた。
「爽やかな長崎弁」というようなコラムタイトルだったと記憶している。

筆者は関東生まれ、夫の郷里長崎に移住。
異なった文化の中での生活に少々戸惑いながら、地元の人の会話で用いられる「〜みんと〜」「〜しとらす」
それぞれにミント、シトラスを見出した。

短絡と笑うのは簡単だが、このような切り口で自らをアピールするものが佐賀県から発信されているのかどうか、思い巡らすと甚だ不安になった。

「みんと」は佐賀でも福岡でも用いられる。
「このうまさは、食べてミ(ラ)ントわからん、わからん、わからん」
説明不要と思われる明太子のテレビCMだ。

「しとらす」は
「あのしったんなぁ、いつでん、しゃんとシトラス」
「あの方は、何時でも、しゃんとしておいでだ」と訳せる。
若干の尊敬を含んでいるようだ。このような解説は
識者によって数多くなされている。

様々の情報を包括する大きなパッケージとも言うべき佐賀県は
どのようなイメージを発信しているのだろうか。

佐賀北高校野球部の全国大会優勝という、願ってもない背景とともに「がばい」は加速したが、言葉は上書きされ風化する。

硬化しない切り口、刷新し続ける情報の発信を期待したい。




年初のブログで

今年は 「為」 を念頭に置く事にした。
いわく 「すぐる(卓る・優る・過ぐる)我を捨て “為” と為す」

「偽」と「為」。「我」は人を指し、“にんべん”のあるなしで意味が異なるのを面白がって、教条的になるのも恥じずに書いた。

しかし、これもどうやら怪しくなってきた。
数日前、「大黒屋」でひょんなことから言葉を交わしたT田さんという方から「偽」の字義と周辺を教わった。

「あなの あっぎぃ ひゃーろーごたった」。

年頭に置くのを、これに差し替えなければならない。

「穴あらば 入るべし」


<ゆっつら〜と館 T>




シリーズ

よかね佐賀弁1 「ま」さんのリクエストに応えて
よかね佐賀弁2 爽やかな佐賀弁
よかね佐賀弁3  ほけまくい
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2007年10月22日

平尾は高木瀬町の北端、佐賀市清掃工場の南にある600人弱の人が暮らす集落。
この集落の平尾天満神社で毎年10月下旬、当集落の自治会により、子ども相撲が行われている。その起源は古く、昭和51年発行の「高木瀬町史」によると300年ほど遡れるようだ。

当時は相撲を催すことは難しかったが、ここの奉納相撲は特別に許された。この相撲には、福岡・長崎・熊本からも力士が集まり技と力を競った。賞品は餅だけ。
しかしかえって「平尾の餅相撲」として有名になった。
相撲の興行が佐賀で行われる時でも「平尾の者」と名乗れば、大木戸を開けて通してくれたという。

往時の賑わいは求めようも無いが、伝統は子ども相撲という形で遺され、当集落だけでなく近隣の集落から参加する子どもも多い。賞品は由緒正しい餅に加え、ノート・鉛筆などの文房具が奢(おご)られている?

小学生の頃、この日は午前中の授業だけで下校することが許されていた。2〜3時限ほど日数が足りなくなっていたかも知れない。それでも、立派な大人になった。

か、どうかは怪しいが。見守る大人の中で、まわしを締めて技も何も無い、手当たり次第の相撲をとるのは、集落内でのデビューでもあった。得意技は「カッシャギ」と「ビンタン」だったが・・・。

「何処の・誰それの子」「オードーモン」等として認知される場所だった。認知された結果、叱られることが多くなったが〜。
そうして子どもは、集落の大人・年長者から守られ、育まれて来たように思う。
似たようなことは何処にでもある地域の良識だった。

まっすぐに歩けない子ども、顔面から倒れこむ子どもがいる等の話を想いながら、目の前で相撲をとる子どもたちを見る。

まわしという自分の全力を加えられる物を掴み、他者を押し出し、或いは投げようと試みる。他方はその力を受けとめ、こらえ反撃しようとする。寸鉄も帯びないやり取りの中で子どもたちは、自分が込める力が、どのように他者に作用するかを知るのではないかと思った。

自分の力を知らない子どももいる。
老域における怪我が「昨日できたことが今日は出来なかった。」ことに縁るならば、子どもの怪我は「昨日出来なかったことが、今日は出来てしまった!」ことに縁るのではないか。
「そんな心算じゃなかったのに」と・・・。

また恒例の脱線?気配濃厚だが、終点まで付合い願いたい。

かようにくどく成ったのは偏に、土俵作り、餅つきなど一週間間前から準備された地元自治会の皆さんの心いき。それに応えて子どもたちが力いっぱい相撲をとる、この行事の良さを思うから、続けて欲しいと願うからに他ならない。

今日の始発は、「竜頭駅」  終点はご存知「蛇尾駅」。
今日もお付合い下さり有難うございます。

<ゆっつら〜と館 T>


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PHOTO

開催日前日の夜です
餅米60kgで作った餅を小さく切り分け熨斗をかけます。
忘れる位の数です。
あちらこちから、アタタタタ
男はどうも苦手な作業です。
本来餅はこの道具で切るのが伝統に従った作法だが〜。
土俵の綱を作っています。
長さは約15m。
先輩の力を借りなければ〜。

 どーにも成りません
踏み俵作りです。縄のかけ方にも決まりがあります。
ちゃんと覚えておかないと。

 こーにも成りません
上で作った綱を埋めます。
直径は4m55cm。微妙です。
四隅に掘った深さ約60cmの
穴に柱を立て俵を置きます。
土俵中央頭上に青竹をわたす。簡単なようで、これも中々大変なんです。そろそろ完成です。紅白の帯の巻き方にも決まりがあります。  ほらそっち反対やろ〜が
切替し〜。勝った方に優しさが見えます。力士(力のもののふ)はこうでなければいけない。女のと男の子との対戦です。
これから男の子もこうでなくちゃしっかり異性と向き合ってね〜。

突っ張りあいです
いいね、いいねえ
両者力いっぱい組み合ったまま
一歩も引きません。
l
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2007年09月08日

第1話 「なんかかってよかよ」

昭和50年。東京の大学に何とかもぐりこんだ「ま」はその風体のまま2年生の夏を迎えていた。

実家にはそれなりの資産があり小遣いなどに不足はなかった。
しかし彼には、ひとつ足りないものがあった。
なかなか「間」が詰められないのだ。
これは、学業以上に彼が執着している異性との関わりを求める上で大きな問題だった。

転機が訪れた。20年溜め込んだ熱情を放つ時が来た。
どのようなシーンであったか〜。

「肩を貸すから、もたれかかっていいよ。」と彼は、胸の高鳴りに怯えながら、思いっきりロマンチックに言った。
傍らの少女は弾けるように立ち上がると、「ウレシー」と叫び
呆気にとられる彼の腕に絡みついた。

二人は買い物に行った。
生活に困っていないとはいえ、その頃の彼には、大人の財布はなかった。

彼は“その時”、数年封印していた佐賀弁を思わず使ってしまっていたのだ。
「なんかかってよかよ。」と。
「なんか、かって、よかよ」→「何か買っていいよ。」と少女は理解した。

体を投げかけることを恐らく意味する。「なんかかる」。
「依存」を促した彼の言葉は、その後「おねだり」を容認する結果を招いたかも知れない。

用いる言葉が共通だったとしても、言葉はそれのみで全てを伝えきれない。

言葉は字幕のようなものでなければならない。今風に言えば、空気を読んだ言葉か。
逆を言えば、言葉が違っても思いは伝わる。
意識の同調が確かなら。

今、唇を奪うことは正しい。

状況と距離感を「ま」は、つかめていなかった。
どのようなシーンであったか根堀葉堀してみたいものだ。

<ゆっつら〜と館 T>



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2007年09月05日

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高校野球連盟がHP上で特待生に関するアンケートを今月二十日まで行っている。
県立佐賀北高等学校が優勝したインパクトを感じる。

甲子園の熱闘を伝える雑誌が3誌、北高のみを採りあげた写真集が2誌出ている。書店によると、売れ行き好調のようだ。「がばい」の炸裂だ。
この言葉についての記事を数日前目にした。
「〜い」で終わるために、副詞である「がばい」が形容詞のような使われ方をしているのではないか。島田氏も「自分の造語に類するものと思って下さい。」とコメントしている。といった内容と記憶している。

言葉は角質のようなものではないかと思う。
世情、それによって醸される人間関係を反映し対応し変化するのではないだろうか。
たとえば、「しだら」「ふしだら」「だらしない」。
この時代に生きていないので、当時の世情がどうであるか知る由もないが、庶民の言葉あそびと感じられてならない。

「がばい」が北高全国制覇の故事とともに遺ることを期待する。

そこで北高弁当だ。
残念なことに北高弁当と称されものは既にあるようだが・・・。
これを参考に誰か創ってくれないものか。
北高の食堂で限定数販売でもいいなあ。
学校視察・見学も増えるかも?

今年の夏は、がばいぬっか。がばい感動した。
(ネイティブはこのように使います。by8期)

<ゆっつら〜と館 T>



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